学校法人 了専寺 白菊幼稚園

保育にかける想い

白菊幼稚園の願い

みんなと一緒にいたいと思う。
おともだちが悲しいとぼくも悲しい。
おともだちがうれしいとぼくもうれしい。
みんなの笑顔がみたいから、 ぼくは大きくなって〇〇になる。
だからいっぱい遊ぶけど、勉強もがんばる。
そんな心をもった仏の子になってほしい。

どんなに立派な家を建てようとしても砂の上では家は建てれません。
しっかりとした人間としての基礎を育てます。

仏さまと心

 隣の席で幼児がけたたましく泣いています。もう20分くらいは続いているでしょうか。研修帰りの新幹線でゆっくり寝ようと思っていた私はすっかり当てが外れてしまいました。お母さんは、懸命に泣き止ませようとしているのですが、環境の違う新幹線の中で情緒不安定になったのか一向に泣き止む気配がありません。お母さんはすまなそうな顔で私に頭を下げました。私は、口では「気にしないでください」と言いながらも内心では、「席が悪かった」と思っていました。そして、そう思っていたのは私だけではありませんでした。

 しばらくすると前の席に座っていた60代くらいのおじさんが席を立ってお母さんを険しい表情で睨み付け、トイレへと行きました。10分ほどしておじさんが戻ってきたのですが、子どもはまだ泣いています。おじさんはお母さんの横まで来ると赤鬼のように怒り満面に「いい加減に静かにさせろよ!みんな迷惑してるだろう。あんただけが乗ってるんじゃないんだぞ!」とすごい剣幕で言い放って、別の車両へと移動して行きました。おじさんはイライラしていました。そして私も実は、少しイライラした感情が湧いていました。

 泣き止まない子どもにイライラして親が子どもを虐待する、そんな事件がよく起きます。その背景には泣く子どもに対する社会の冷たい目を感じる親が、泣き止まない子どもと社会の冷たい目とに強いストレスを感じる、ということも一つの原因なのでしょう。だとしたら、そのような親を生み出しているのは、泣き止まない子供に快適さを邪魔されたとイライラした感情を抱く、そんな私にも責任の一端があるのかもしれません。

 最近は、ネットの世界も政治の世界も社会全体が、どうも心が次第に失われ、感情的な言動が支配しつつあるように感じます。 ところで、心と感情の違いはなんなのでしょうか。辞書をひも解いても明確な違いは判りませんでした。 しかし、それらには違いがあるように思います。

 どのようなものが感情でどのようなものが心と言えるのでしょう。古来より中国では五情と言い、喜怒哀楽と怨を感情だと言います。では、心と言えるものにはどのようなものがあるのでしょう。「感謝」「思いやり」「申し訳ない」「勿体ない」「おかげさま」「恩」「ご縁」などなど。それらは、感情ではなく心と言えます。つまり、感情とは個人の内側から沸き起こってくるものです。それに対し、心とは、歴史と伝統に裏打ちされた「教え」をベースにして生れてきます。そして、先に挙げた心の大半は仏さまに手を合わせ、み教えを聞く中から生まれてきたものです。

 社会から仏さまに手を合わせ、仏さまの教えを聞くということが無くなれば、人々は個人の内側から沸き起こってくる感情を優先し、心は失われてしまうのではないかと危惧しています。

 感情が豊かになることはすごく大切なことです。しかし、み教え聞くと言うことがなくなれば、大切な心も失ってしまうのではないでしょうか。
40分もすると泣いていた子どもは泣き疲れて寝てしまいました。そして、私も博多駅到着までの間、一眠りしました。
み仏さまは「泣いている子どもも私と一緒にいていいんだよ」と優しく微笑んでおられます。

園長 細川 義朋

ジャンル
スポット名
学校法人 了専寺 白菊幼稚園
電話
0948-24-7486
住所
福岡県飯塚市小正93
定休日
営業時間

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